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われわれは、短い時間をもっているのではなく、実は、多くの時間を
浪費しているのである。
われわれは、短い人生をうけているのではなく、われわれがそれを短くして
いるのである。
無駄な苦労をしながら厄介骨折り仕事をしている時間、
他人の意見に絶えず左右され、疲れ果てている時間、
こういった時間は、全て人生ではなく時間にすぎない。
自分に正に当てはまるから、自分は人生を生きていないということになる。
(過去の投稿においても、日々職場で生殺与奪されている様子を述べている
ので、自覚している部分。)
いつ、あなたは自分の計画に自信をもったか。
自分が決めたように運んだ日はいかに少なかったか。
いつ自分を自由に使うことが出来たか。
いつ心が泰然自若としていたか。
あなたがこんなに長い生涯の間に行った仕事は一体何であるか。
いかに多くの人があなたから生活を奪い去ったことか。
消化出来ない3人~4分の仕事や、複雑な職場の人間関係に悩まされ、
どれだけの時間が過ぎ去っているかに注意する余裕も無く、
蓋を開いてみたときには、自分自身のものであるはずの人生が、
僅かしか自分の元に残されていないことに気づく。
満ち溢れる湯水でも使うように、時間を浪費した挙句がこんなザマ。
「私は、50歳から暇な生活に退こう」
「60歳になれば、公務から解放されるだろう」
では、おたずねしたいが、君は、長生きするという保証でも得ているのか。
君の計画通りに事が運ぶのを一体誰が許してくれるのか。
残り少ない人生になってから、自分の人生を生き始めるのは、
時すでに遅しだと言う。
無駄に多忙を極めている、常に追いかけられている者にとって、
最良な日は、あっという間に過ぎ去ってしまう。
自分のために有限な時間をどう使うか。
2000年前の人も現代人も同じ問題を抱えていたというのが面白いと思った。
悪い我慢をし続けて、時間を浪費している自分には、頭をハンマーでガツンと
殴られたかのような衝撃的著作。
それでも、一歩を踏み出せない、気弱な自分がいるのだけど。。。